2012年1月12日木曜日

Helter Skelter

こんばんわ。9時からうたた寝しててTwitterTL上でベストハウス123観れてなくて残念なサワです。
起きてPCに向かって朝から衝撃ニュース見ちゃってビックリなそれ書きます。

イベントまとめ今週書きます。徐々に書き溜めしていってます(脳内)。
そしてこれからの展望とか*
書きたいのに書けてないのがうう。。日々色々あって面白いので真面目な書き出しがなかなか^^
これがリハビリ的であるかなもしかして*


僕がブログ書いてる理由の一つが達成されるかもしれんです。
"沢尻エリカ女優業復活。復帰一作目は伝説のマンガ「へルタースケルター」の実写映画化"
うえーーーーーーーーい!!!!  朝一はっきり目が覚めました。
「へルタースケルター」これは僕内で"人生で読まなきゃ損してるだろマンガランキング"に華麗に咲く作品で、
言い過ぎじゃんかとの言葉があろうとブレずにその棚に置いてます。
読む年齢が年齢ならヤングトラウマ確定です!実は僕そうですから。
僕が女で美人だったらこの生き方目指します。せないけんくらいのもんです。
だから、世の美人さん、しよう。
読まれた方も多いですが、岡崎京子作品です。
僕は何を隠そう岡崎京子(通称岡キョン)マニアです。高校の時から魅了され続け、
毎年京都大阪に行く家族旅行では本屋を巡り、岡キョン作品を買いだめしていました。
くるりの"青いアルバム"のインナースリーブに「岡崎京子が全部揃った」と書いてあるの見て
「岸田(だーきし)わかってんじゃん」と微笑むのも懐かしい。僕もコンプ勿論です。
90年代を代表するマンガ家の一人で、作風からサブカル扱いでした。
(この映画でどうなるかわからんのんで「でした」表記。)
まだサブカル風潮があった時代、女性マンガ家で魚喃キリコが比較対象とされていました。
(魚喃が映画なった時もムラ淳や今宿が出てた、あれはサブカル側の配置だろう。
 んでプチ話題で乙、いわゆるミニシアターで乙だったからなー。)
南Q太や安野モヨコが比較に挙がったのは00年代からです。間違えちゃいけない。
(安野さん、岡崎さんのアシでしたらもっとアクセル踏んで!)
映画でもアメリカンニューシネマがあったり、フランスではヌーベルがあったりと
既存の考えを踏んで変えた"主人公が悲しい結末。主人公に近いキーマンが死ぬ"の時代ターンがあります、
岡崎京子はこれを行った女性マンガの筆頭であり、それを詰めた素晴らしい作家です。
とにかくこの人のマンガは作風が豊かで初期は「愛と温度と軽さと愉しさ」を描いています。
中期から問題作"PINK"を発表し「愛と消費」について描き始め、
サブカル教科書に載る名作"リバーズエッジ"で後期のテーマ「愛からセックスと死の移行」について描き始めます。
男性上位時代な「乙女ちっく」や思春期の片隅を魅せる様な丁寧なものが当たり前の少女漫画の時代、
セックスを汚れない気分とは違う書き方とむしろ濃密に大らかに描いたのがこの人の特徴で幕開けです。
途中やはり人のコ、自分の青春群像を挿入しますが追ったらわかります、急に総括します。
多分もうよかったんだろう。早くまとめしたかったに違いない。飽きたんだろうね、思い出に。
マンガ家ながらDJも行い、ストリートの変化や機微の動きを繊細に取り入れていく感覚は
未だいませんし(井上三太の初期くらいかな。いやそれもちょいないか)、もう現れないかもと思います。
出来そうで出来ない場所で描いた作家領域なんです多分。
岡キョン自体が「私は一般のミーハーなオンナになりたい黒づくめな女と一緒よ」と言うほどです、
作品には多数の有名映画やミュージシャンのサンプリングがあります。
部屋でマイワールドに展開した美術感を練った、んで出してる感。ごいっす。
キアヌリーブスとスチャダラとオザケンとソニックユースが特に好きな様でかなり挿入されてます。
そしてストリート感から服装やクラブでの会話など、今も通用するだろうぬるい空気は当時に完成されています。
DJがNW基盤なのでその辺プラス戸川純が盛られてタマリマセブン!
長くなりました。
「へルタースケルター」。岡崎京子の00年代最高傑作。全作品でも上位確実。
一人の女性が美しさを求め変貌していき、手に入れた容姿は思い描いた理想の現実をプレゼントしてくれます。
しかし、些細な事からそれは下り坂を歩き出し、どん底まで堕ちます。
話はこんな内容でいいです。シンプルに。シンプルこそ記号であり、記号こそ無限の組み合わせがおこなえます。
主人公はリリコ。もとのまんまは骨と髪と耳と目ん玉とアソコくらいであとは全部つくりもんさ。
そう出来上がった美しさは賞賛と罵声を浴びる"フリークス"である。
そして加速して疾走して"一般が求める声に期待値以上で応える"モンスターになる。そしてラスト。
肉付きもこんなかな。充分だ。素晴らしいものに細かい言葉はいらん。いるのは思考がショートした人だけでいい。
女子が憧れる世界、生活。女子が求める世界、生活。似てる様な前者と後者の圧倒的な温度差と違いの描き方。
普通の女子が堕ち切るすべてを表現した内容。そしてストリートからのサンプリングが絡み、
リアリティーはすぐそばまで感じて、気付かせます。それが意識の飽和だということ。を。
女性は男性に比べ現実的であり、夢を見ます。
美しいものはすべて現実的に構成されています。されるべきだと気付きます。嫌なクソ現実を。
自然に美しいものは自覚がないだけの無機質。
加工に美しいものは自覚をもったエゴでエモで無意識のうそつき。
加工は自然をねたみ嫌い憧れて追い抜こうとし、自然は加工のくだらなさに無感情ながら暖かい表面で向かいます。
欲は罪じゃないし欲こそが行動の基盤であり、消費するか横ばいか生産か、そこだけが問題である
実に単純なテーマ。ってな感じです。
今の時代に10年も昔な作品を映画にするのはどうにも心配しますが、期待も大きいです。
原作の素晴らしさがあるから。そしてその"サブカル先頭が創った頂点"をどう解釈して見せるかが肝です。
蜷川実花さん、監督期待してますぜ。やる気は買う!
"モテキ"があったじゃないですか。あれも主人公はサブカル世界でしょ。設定も。そして作品全体も。
興味深いのはあの作品ほど邦画で去年賛否両論巻き起こしたのないし、んでヒットしたし。
00年代は"オタク"の台頭からサブカルが来たんですよ。来てたんですよ。
オタクって言葉じゃなく、オタクとされる人に憧れた人が表に出なくひっそりと行動しながら
オタク以上に知識とスキルを身につけている、それこそがサブカルであり、そこのうわばみが下克上みたく
自然な流れと意識した皮肉と尊敬から世間に少しづつ浮き上がって来た、ようやく始まった感なんです。今!
それに乗るんか!?いいよー。観るよー。DVDも買うよー。たりめーだぜ。
今を切り取るのはもう"消費"でダサイから"普遍"でいってほしい。
円タメでもいいから。ずっと再生される作品にして欲しい。

斜めしたら、面白くてもこけていい、話題だけど伸びなくていい、好きだから教えたくない、
B級がA級を越えるタランティーノセンセーション再びはもういい、大きくなればなるほど
サブはメインになって狙ったか"作家性"はなくなるじゃん、売れたらあーたそれでいいの?
どう岡キョン崇拝者は捉えますか?スチャが好きな作家だもん、嬉しくも絶対裏打ちがあるでしょ笑
だってタイトルイイネ!ビートルズよりチャールズマンソンを先に思い浮かんだ人、天才!
「White Album」は異端だし、ビートルズがヘビメタ風も珍しい。んで歌詞も暗いから
当時は熱狂的な信者も一生懸命解釈を独自にしてたでしょ多分。
んでイギリスでは「滑り台」や「混乱」って意味もあるからそりゃ深読みして
マンソンが動くのも解る。ってのはないけど。太宰治が人間失格で自殺誘発装置を蔓延した様に
メジャーがどインパクトで人を動かしたってゆうくだりも含めて
岡キョンのサンプリングはセンスが凄い!作中の散文詩なんか現代で美しい詩ランキング一位じゃないか?

沢尻エリカ。へルタースケルターが刊行されてすぐに「私でこれを主演にして撮ってほしい」と言ってた当時。
(確か帯に書いてあった。記憶してて良かったー)
それから私生活でそれこそ"賞賛や罵声"をリンクした様に浴びたこの人が
ずっとぶれずに本当に"叶えてしまった"んー"叶えた"か、これは僕尊敬しますし、正直好きになりました。
上記の話を知ってか知らずか。ラジオで過去に「私ジミヘンが好きです!」って言ってた。
こんな美人さんがそんなん言うなんて。。僕なら人間やめちゃう。。
でも正直凄い。こんなカッコイイ人だったんだ。これを選ぶの凄い。上からでごめんなさい。今一番です。
会ったらファンですと言います。
サワだしな。
あのサワほまrとは違います。
前に彼女が言ってた「沢尻エリカの体系って女性の理想に相当近いよ」。名言。
細くなく太くなく肉が良く。これが作品に華を沿えるだろう、まっちげーねー!
いつの時代も強い女性が社会を創る気がします。前例ないけど。ジャンヌダルクとか?
だって男はそこまで現実を見れなく、追ってばっかりのカッコ付けマンですから。
創った男性も女性にしかれています。愛すべき現実。だがそこがいい。

女子が制服を自己流に着こなし"男性が性的衝動を多くに含んだ女性像"を利用した90年代女子高生っちゅう、
援助交際や言葉遊び等のサブカル過去がある様に、
ん違う。そこが文化のラストでありそこから生まれたかな
"葛藤もさしてなトラウマもなく"風潮として皆がやっとけばいいかな的、長いものに巻かれよう現在、
会った事ない人をDISれるように情報も発達してそんなデキた人が当たり前になってるかな現在、
普通が一番難しいのに口を揃えて普通ですと言い、認めたくないのか
自分絶対優位なポジションに無意識なる現在、んでつつくと煙にまくor周囲を味方にして叩き開始な普通の現在、
有機的が無機的になって「平坦な戦場で僕らが生き延びること」って書かれた作中のように、
結果を想定し距離を測ることで浮き上がる実存、今だねーって感覚、そうなった気がする現在、
オバカ芸人とかでバカが個性になり、無意識も個性と呼ばれ、"個性"がない現在に置いて
"俗が求める視線と衝動"を作り上げる今の"個性的な"女子を
どうスクリーンに、センセーショナルに、投射するか。楽しみです。

誰かこんな話しながら呑みませんか?しーたーいー><

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