2012年9月10日月曜日

wont mooovie.

これは好奇心を触発と同時に個人的ずっと目の当たりにしたかった画なのだと確信する。

子供は純粋で残酷。この耳ダコフレーズに嫌悪感を示すのは残酷の二文字。
意味は分かる。しかし残酷は大人が観て残酷であって社会から観て残酷は難しい。

 「幼い頃、公園の砂場で人は社会を知る」とは大人の視点で社会じゃない、
 社会とは取り上げなくてはそして知らせたい何かから発する動機がそうであると
 過去の勉強から知る。

必要ではない、
必要なんて言葉もう取捨選択が出来る今時分の環境と世界においてオワコン。
そこに触手が触れるかどうかでいいぐらい。
僕はこれを支持する。

県外に向かっててでも観たい。こけても、ラストがダメでも、後悔しても、観たい。
劇場未公開作品とかでレンタルされる作品かもしれない狭い映画かもしれないけどが
どうであれ脳に残る事はある。

残るってのは
"今の自分とか何か欲しかったとか 口にするのは難しくもどっかひっかかってる興味の自分" なんだと鏡の役割をしてるんだろうな。
鏡は反面教師だけじゃない。
自分を映すだけじゃない。
ましてや、理想を映すものでもない、 気付け!ってドッペルゲンガーが放ってるもんだとしたら。

 素直に自分を飲めっつってね。

 

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